wikipediaより
ダビデ(ヘブライ語: דוד; Dāwīḏ (ダーウィーズ), ギリシア語: Δαβίδ, ラテン語: David, アラビア語: داود Dāʾūd, )は古代イスラエルの第2代の王(在位:前1000年 - 前961年頃)とされる。ダヴィドとも。旧約聖書の『サムエル記』『列王記』に登場し、『詩篇』の作者とされている。イスラム教においても預言者の1人に 位置づけられている。英語圏の男性名デイヴィッド(David)などは彼の名に由来する。 とは言え、痴戯原駄羅衛門は たまたま口の端にのせるときは「ダビテ」と呼び倣わしている。片や「ダヴィデ」と気障な片仮名表記もあるようだが、それはどうでもいい。「パソコンは便利なものだ」と言いたかっただけ。 今回痴戯原の描いたダビデ像はJR山手線の恵比寿駅から昨年秋に新築オープンした日本画コレクションで有名な山種美術館に向う途中、駒沢通り沿い右側、広尾にあります。 実物は5メートルほどの巨大白色大理石像だそうだが、こちらの像は何処で鋳造したものかは知りませんが、およそ3メートルありそうな銅像です。なかなかの迫力です。 ミケランジェロ作の本物は何処にあるのかと調べてみたら、イタリアのフィレンツェに。 我が国では美ヶ原高原美術館に実物大のレプリカ像があるそうです。筑波大学の芸術学群デッサン室に白色石膏像(実物大)が、巨大でビックリだそうです。何れも観たいですねー。 ダビデを描くきっかけをつくってくれたのは、友人で俳句をよくする高田究久庵宗匠からのメール(俳句に写真添付)に刺激されたからである。 そのメールに応えるべく吾輩は立上がり、なんとかブログアップに繋げた訳です。 そのメールの内容は以下の如くです。(ことわりや同意も得ず、転載した御無礼の段、お許しのほど) 吾輩は究久庵宗匠よりすこし先んじて同じ物件を写していた訳です。 かくの如し。見たまんま!の駄苦。痴戯原俳句のセンスありません。 「まだ葉はあるぞ」と、晩秋らしい季語がおり込めました。痴戯原にしては、まぐれてよく出来たほうです。 しかし「辛うじて」と 「まだ」は同義語と看做すべきだろうなぁー。やはり俳句は手に負えない。 瞳を真近かでよく見たら、瞳孔は♥の形に穿ってあります。 勇気を漲らせて巨人ゴリアテを石塊の投擲にて打倒さんと睨み据えるココロ(ハート)の有り様をこのように瞳に託したのか? いやいや、ミケランジェロさんは粋な方です。 青年デイヴィッド君の夢見る多感期のハートチックな青年を表現するのに、これ以上最適な細工はありません。・・・何れもシャチョーの下らぬ推論にも当たらぬ冗談。悪しからず。 デッサンのための石膏像は世間には多種にわたって出回っているのですが、ダビデの石膏像は見たことがありません。描き上げると、珍しいものを描いたなぁーと皆さんに喜んで貰えるのでは・・・と、尚更描きたくなったということです。 セットポジションで一塁ランナーを見据えるダルビッシュ投手?に似ているなぁー・・・と打込んで、はたと思い至った。ダルビッシュさんと言う名前は何処かの国ではダビデと同意味 言い換え表記かも? そんな事はともかくとして、なにしろカッコイイ顔立ちだ。描きたくなるではないか! ◉ 伊太利亜へ 行ってきたよな 嘘をつけ ・・・・・・駄句 ・・・とも思ったのだが。 ◉ アリガタや 救いの友が 現れた ・・・・・とマタマタ珍約凄書の『マタマタイ伝』が述べてるような、まるでアリガタ味のない駄句をば、痴戯原駄羅衛門 吐いております。 イタリーのフィレンツェにあるダビデ像の本物は明るい白色大理石像だそうで、そのように思わせるように、可成り明るい表現にしてみました。 ダル ビッシュ投手に似てるなー。と思って描き進める内に、髪の毛のチヂレ具合など、痴戯原駄羅衛門は映画少年時代に銀幕で微かに馴染んだ江川宇礼雄か?(晩年 はTVドラマ「ウルトラQ」一の谷博士を、珍無類の学説を次々と)・・・に憶いが至ったのでア〜リマシタ。チト旧過ぎたか。なんの略脈も無い。いよいよ脳軟化ヂーヂに。 四六判/四ッ切り 547×396 薄浅葱色マーメイド紙 鉛筆+パステルホワイト 描き出し位置決めは鉛筆でごく淡く、描き進めるに従い鉛筆アタリは消してゆく。対象物が銅像ですから、写真に撮ったら、光の当たらない部分はやけに暗く落ち込み、眼を凝らして明暗の境目を探る訳ですが、判別しにくかったので暗部はかなり想像を交えて描きました。 <A閑話> 主張を込めて創作創造するという事が芸術行為との観点からすれば、写真を模写するという行為は徒労に過ぎないとも言えるのかもしれないが、痴戯原は「写真模写に時間潰しをしたなぁー」などと後悔はしていない。齢を重ねて老込んだのに何とか手が動き、そこそこ意図した表現が出来るのが有難い。 デッサンモドキ。割合短時間でそこそこ見れる味が。描き込むに従い、格好良くなってくるのが、何とも心地よい。 そして写真が手描きの一品物に化けて、何だか有り難味が多いに付加されたように思われ、壁の貼りつけて眺めていると、そこそこのアート作品だと主張しているようだ。なかなか好い。 石膏像デッサン好きですが、絵画教室へ出向くと費用がかかります。この方法なら金欠痴戯原にはうってつけ。都内を迂路つき回って、好みの銅像探しに精を出そう……か! しかし、これくらいアートチックな銅像には、なかなか巡り会えないかも・・・ ヨカ情報待っとりますバッテン おあとが宜しい様で・・・・・・
by ky11shige
| 2015-06-21 21:37
| デッサン・素描
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